十字架上の七言:第七聖語

「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」
(ルカによる福音書23:46)


 キリストが十字架上で最後に述べられた「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」は、死を迎えている誰もが語りそうな言葉に聞こえます。自分が死ぬことを知るようになると、殆どの人は人生を振り返りながら死を準備するため、家族や神様に自己存在を託すようになります。それで、言葉自体は極めて普通だと感じられるわけですが、込められている内容を吟味してみますと、いかにキリストらしいお言葉であるかが分かります。これはキリストが地上で捧げられた最後のお祈りであり、同時に弟子たちに残した一種の遺言だと言ってもいいと思いますが、キリストは死ぬ瞬間においても、ご自身の姿勢を通して私たちを教え導いてくださいました。つまり、キリストは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」というお言葉を通して、神様の愛を受け継ぐものである私たちの具体的な生き方として、委ねるということをお示しになられたわけです。中世時代の修道士たちは“メメント・モリ(memento mori)”つまり“自分が必ず死ぬことを忘れるな”という意味のラテン語を用いて朝晩の挨拶を交わしながら、全てを神様に委ね、ただ与えられる一日の命に忠実であるように努めました。私たちには修道士のような生き方が求められるわけではありませんが、神様に委ねて生きるということが、今どのようになっているのかを省みることは求められます。委ねることこそ、愛を生きる具体的な道だと言えるからです。
 中東地方には“川が旅する方法は砂漠の上に書いてある”という昔話が伝承されています。昔話に出てくる川のことを自分自身に、風を聖霊に、また川の旅のことを自分の信仰や人生に見立てて聴いてみてください。
 「川があった。その川は遠い山から始まって、村や野原を通り過ぎて、ついに砂漠に辿り着いた。川は直ぐに分かった。砂漠に入れば自分の存在はなくなってしまうことを。その時、砂漠の真ん中から声が聞こえてきた。“風が砂漠を渡れるように、川も渡ることが出来る”と。川は首を横に振った。砂漠に入ると、自分は跡形もなく砂の中に消えてしまうと。風は空を飛ぶことが出来るから砂漠を渡れるのだと。すると砂漠の声が言った。“その風に自分自身を任せてごらん。自分を蒸発させて風の上に載せなさい。”その時、ふっとある記憶が浮かんできた。いつだったか、風の胸に抱かれて、空を飛んでいたことが。それで川は勇気を出して自分を蒸発させ、風の穏やかな胸に抱かれた。風は水蒸気になった川を軽く抱いて飛び上がった。そして数百里離れた向こうの山の頂に着くと、大地にそっと雨として降らせた。それで川が旅する方法は砂漠の上に書いてある、という話が伝わるようになった。」
 風に身を委ねた川から学べるように、委ねるということは、身を委ねること、つまり存在全てを委ねることです。思いと心と行いにおいて、特定の部分だけを委ねることは出来ないし、それを委ねるとは言えません。イエズス会の創始者イグナチオ・デ・ロヨラ(Ignacio de Loyola、1491-1556)が「主よ、私の自由をあなたに捧げます。私の記憶、知恵、意志をみな受け入れてください。私のものは全てあなたからのものです。今、全てをあなたに捧げみ旨に委ねます。私にあなたの愛と恵みを与えてください。私はそれだけで満たされます。それ以上何も望みません。」と祈ったように、全ては神様からいただいたものであるがゆえに、その与え主である神様に捧げる、というのが委ねることなのです。朝の礼拝で捧げる祈り「平安のため」の中に“完全な自由は主に仕えることです”という部分がありますが、それと同じように委ねることも私たちを真の自由へと導く、最も積極的な信仰行為だと言えます。
 だとしても、思いと心と行いにおいて全てを神様に委ねること、しかも何にせよ委ね続けることは、決して簡単なことではありません。不可能に近いと言っても過言ではないかもしれません。それでは委ねる人生を送るためには、どうすればよいのでしょうか。冒頭で「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」は、キリストが地上で捧げられた最後のお祈りであると言いましたが、そこにヒントがあります。それは、十字架を通して委ねることの究極的な模範を示してくださったキリストのように、いかなる状況においても希望を失わずに祈り続けることです。キリスト者にとって祈りは、神様につながっている魂のへその緒のようなものです。それゆえ、祈ることを通して委ねることを含め、愛を生きるために必要とされる全てが与えられます。

黙想 - ウィリアム・スタフォード(William Stafford)の「生きることとは(The Way It Is)」という詩をご紹介いたします。詩は一筋の糸をモチーフとして展開されますが、その糸のことを祈りに見立て、また糸の片方は神様に繋がっている、という想定の上で聞いてみてください。そして、自分の人生において、祈ることと委ねることはどのようになっているのか、についてしばらく黙想しましょう。
 「あなたが従っている一筋の糸がある。その糸は、変わっていくものの間を貫く。しかし、その糸は変わらない。あなたが何に従って歩んでいるのか、人々は知りたがる。あなたは、その糸について説明しなくてはならない。しかし、人々がそれを見るのは難しい。その糸を握り締めている間、あなたは道に迷うことはない。悲劇的なことが起こり、人々は傷つけられ、また死んで行く。そしてあなたも苦しまれ、年老いて行く。時間が作り上げていくことを、あなたはどうにも止めることは出来ない。そうであるにも拘わらず、あなたは決して糸を放してはならない。」