主教による降臨節の黙想:降誕日

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 クリスマスに読まれる聖書やこの日の根底には、「新しい」というテーマが在ることに気付かされます。同時に、イエス様のお誕生を巡って「全てのものが、新しくされた!」と言われます。そこには「今まで支配していたのとは違う状況が、イエス様によって生み出されていく」という意味合いが込められています。
 では、イエス様のお誕生を境にして、それ迄と違う何が起こってきたのかと言いますと、イエス様がお生まれになる前(お生まれになってからもですが)人々を縛り、世の中で幅を効かせ、あたかも主のように振る舞っていたものは「律法」であり、パウロ曰く「養育係」のようなものでした。けれども、今やイエス様がお生まれになり、人々のただ中にお出でになられた結果、人々は養育係の下にいるのとは、全く違う状況に置かれ始めました。
 このことは、紆余曲折あるものの、神様から一人一回限りの人生を有り難く戴き、大事なものとして生きていこうとする人にとっては、「自分の足で立てるのだよ!」「その時、私が一緒になって、お前と何度でも立ち上がってあげるよ!」というイエス様のメッセージは、この上無く力を与えてくれるものとなりました。
 福音書には、イエス様のお誕生の光景がありますが、それは幼子の姿から始まるものでした。そして、それが私たちに伝えてくれているのは立派な完成品か、それに近い者となったから神様はお恵みをくださるというのではなく、神様に造られた本来の姿に立ち返るところに神様の恵みは一層大きく注がれるという意味で、イエス様のお誕生とはそのことへの希望の先取りでもあります。
 人は誰しも、弱さも影の部分も持っていますが、イエス様がおっしゃるのは、そういう自分を認め、誤魔化さずに「この私に従いなさい!」というものであり、斯くして、律法では乗り越えられなかったことがイエス様によって乗り越えられるようにされました。
 私たちの一切を清濁併せて受け止めて下さった上で、尚且つ見捨てることも、見限ることもなく私たちへの愛を注ぎ続けて下さる、それこそが「愛の神」の働きであり、その神様へ感謝を捧げること、それはクリスマスの大きなテーマの一つと言えましょう。
 「今の精一杯のあなたを私に献げなさい そして、そこから神様によって、更に豊かにされ始めなさい 新しいスタートである「今」というこの時を大事にすることから始めていきなさい 何故なら私が在る! 私が居るから!」
 「私は在る」、これは古くは「出エジプト」に先立ってモーセに自らの心を打ち明けられた神様のメッセージであり、イエス様に於いては、ゲッセマネの園でご自身のことを告げられた言葉、それが「私が在る!」です。しかも、その何れもが人々に恐れを、不安を抱かせる暗闇の中や孤独の中での、神様の威厳に満ち満ちた語りかけの言葉です。
 「私が在る!」「私がいるのだから!」、これはイエス様のお誕生に集中されますが、単に二千年前にユダヤのベツレヘムの馬小屋で起こった、今となっては懐かしい出来事ではなしに、今まさに、この私たちが生かされている、私たちの命の営みの中での出来事に他なりません。
 例え、暗闇の中、迷いの中で在ってさえも、「私は在る!」「私がいるのだから!」という神様の揺るぎない御心に、私たちの方からも心を向け続けたいものです。
 「私が在る!」「私がいるのだから!」という神様の御心、神様からの確約が人となられた方のお誕生をお祝いし続けますとともに、その方への信頼が、一層増し加えられますよう祈りたいと切に願います。

 クリスマス、おめでとうございます!