主教教書(7) 「聖週を迎える時にあたり」



日本聖公会東京教区
各教会・礼拝堂・教役者・信徒の皆さま

聖週を迎える時にあたり


2020年4月3日

東京教区主教      
フランシスコ・ザビエル 高橋宏幸

日々、新型コロナウイルス感染症は拡大し、それによる深刻な状況に私たちはますます不安を募らせています。
いよいよ来週から「聖週」を迎えます。
主イエスは、当初多くの人々の歓迎の声の中エルサレムに入城されますが、間もなくその同じイエス様は十字架でのご受難を前に、心を注いでこられた弟子たちに裏切られ、見捨てられることを予告されます。しかし、そうであるにも拘らず、謙って屈まれ、弟子たちの足を洗われます。そして、「互いに愛し合いなさい」という「新しい掟」を授けられます。さらに、時を空けずゲッセマネの園では一人孤独の内に神様と徹底して向き合われ、祈られますが、そのイエス様の心の奥深くにあるのは神様への従順と、私たちへの愛でした。
イエス様に連なる私たちは、イエス様を模範とし、祈りの持つ力への信頼を失わず、それぞれ離れた場に居つつも、祈りと信仰に結ばれ続けたいと思います。

私たちは、過去に例を見ない程の厳しさの中で大斎節を過ごし、今まさに受難週を迎えます。既に、前教書にてお伝えしてありますように、従来私たちが慣れ親しんできた形での公祷を捧げることはできません。けれども、イエス様のご復活がなくなったわけではありません。教会というキリストの体、神の民が消滅したわけでもありません。このような非常時であるからこそ、また信仰が問われている時であるからこそ、一層私たちは信仰と祈りによって互いに結ばれているという確信を心に深く刻みたいと思います。
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
(ヨハネによる福音書13:34-35)
先の教書でも述べましたが、唯々恐れおののく弟子たち、逃げ隠れ、怯えていた弟子たち、茫然自失でイエス様が納められたはずの空のお墓の前で佇んでいたマグダラのマリアを思い浮かべ、「最初のイースター」に思いを馳せ、黙想を深める時としていただきたく願います。併せて、信仰の原点である洗礼に思いを深く馳せる時でもあると思います。
聖週間の聖書箇所を読み、祈りと黙想の時を持たれることをお勧め致します。主教座聖堂のホームページに、「聖なる三日間の黙想」を掲載いたします。

感染症に罹った方がたの一日も早い回復と医療従事者のお働き、生活上の不安、困難を余儀なくされている方がたへの支え、そして、ご逝去された方々の魂の平安と悲しみの内にある方々への慰め、この危機の収束を切にお祈り致します。また、その他すべての人々のため、殊にご高齢の方がた、教会学校・日曜学校に来られない子どもたちの不安が和らげられ、一人一人の命が守られますように、そして、日ごろ教区、教会・礼拝堂での種々の奉仕に携わっておられる方がたのためにもお祈り致します。

東京教区では、復活日(4月12日)正午には、お昼時の忙しい時間ですが、一旦手を止め、心と言葉を合わせて、主イエス・キリストが授けてくださった「主の祈り」をそれぞれが居られる場所で捧げていただきたいと思います。私自身も祈ります。皆さまもご一緒に祈りましょう。
どうぞ、他の方々にも祈りに加わってくださるよう、お知らせとお勧めをお願い申し上げます。