「光は闇の中で輝いている」
ある夜、しかし、その夜の出来事は後々世界中を引っくり返す、神様によってなされた出来事の始まりの夜でもありました。その夜の出来事を「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」』「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と福音書は記しています。神様は天使を通して、ベツレヘムの飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子イエス様こそ世の救い主であられることを力強く伝えます。降誕劇を観ていますと、何とも感動的で美しい場面ではありますが、ヨセフとマリアの心中を察しますと、むしろ辛く、不安が渦巻いていたことでしょう。しかも、上述のように真夜中の出来事だけに、真っ暗闇という不安や恐れを抱かせる力に取り囲まれている中でのことでした。そうであるにもかかわらず、神様はこの真っ暗闇の中での出来事を全ての人の救いのためとして伝え、祝福されます。
その救いをもたらされるイエス様は、きらびやかな宮殿でも、立派な邸宅でもなく、なんと飼い葉桶に寝かされていらっしゃいます。泊まる場所もなく、あちらこちらの宿屋で断られ、たらい回しにされたようなマリアとヨセフでした。けれども、天使は力強く神様の心を伝えます。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と。
イエス様が、なんと飼い葉桶に寝かされていらしたことは、この世で誰からも顧みられなかったかのようなマリアとヨセフにとって、一層の辛さや不安を大きくさせたことでしょう。まさに、心の中は闇で覆い尽くされていたはずです。しかし、神様はそこで事を終えられはしませんでした。つまり、イエス様が寝かされた飼い葉桶こそ、この世を覆っているさまざまな闇を表していると同時に、その闇の中に神の救いの光が燦々と輝き始めた場所でもあります。
罹患された方がたの回復、医療現場に於いて命がけで献身、従事しておられる方がた、エッセンシャルワーカー、諸施設の働きと、そこで献身していらっしゃる方がたの働き、生活上の不安、困難を余儀なくされている方がたへの支え、ご逝去された方がたの魂の平安と悲しみの内にある方がたへの慰め、また、罹患された方がたへの偏見や差別に陥らぬよう併せて祈ります。 一日も早い収束と安心、安全が取り戻されることを祈り、皆さまお一人お一人の、そして世界の平和をお祈り致します。
み子の訪れによってわたしたちを清め、心の闇を照らしてください アーメン
(主教 高橋宏幸)