主教教書(20) 「大斎節を迎えて」

「大斎節を迎えて」

日本聖公会東京教区
各教会・礼拝堂・教役者・信徒の皆さま
2021年2月18日

東京教区主教           
フランシスコ・ザビエル高橋宏幸

12月27日(降誕後第一主日)以降、殊に東京都のコロナウイルス感染症の更なる深刻化を鑑み、当初からの二本柱である「いのちを守り合うこと」「教会の社会的責任を果たすこと」を重んじ、東京教区のおける礼拝・公祷(会衆参加の礼拝・公祷)の休止をしております。緊急事態宣言下でもありますが、既にお知らせしましたように、東京都の医療提供体制警戒レベルが「3」になるなどを目安に、礼拝・公祷(会衆参加の礼拝・公祷)の再開の時期を改めてご連絡したいと考えております。

その中、「大斎節」が始まりました。依然として、多くの制限や制約が求められていますが、大斎節の大事なテーマである「信仰の原点への立ち返り」という意味からも、その過ごし方には重要なものがあります。
イエス様は荒れ野に行かれ、四十日間を過ごされたことが福音書に記されていますが、それは「神様の霊によって」のこと、神様に従われたゆえのことでした。そこでイエス様は、黙想と祈りの中で徹底して神様と向き合い、語り、聴かれ、問われたはずですが、悪魔の誘惑を打ち破られただけではなく、神様の思いをご自分の思いとされるという決断、決心をされました。
今、世界中は、「荒れ野」の中にいる状況とも言えましょう。社会には今のコロナ禍の状況を指して「神の審きである」「神は見捨てた」等々の声も決して皆無ではありません。しかし、イエス様に於いて荒れ野は、決して神様から見放され、見捨てられた場所でも、神様の手の及ばない場所でもありませんでした。

今、私たちは荒れ野の中のような状況にありますが、大斎節には徹底して神様と向き合い、神様に聴く、そして、神様の御心と働きが一層為される場所としての自覚が求められていると言えましょう。私たちが、その中でどう生活するかが、例年以上に問われているはずです。キリストの教会である一人一人には、荒れ野の中から語らねばならないこと、荒れ野の中でだからこそ深められなければならない信仰生活のあり方が与えられているはずです。

クリスチャンとして神様からのお召しを戴いている私たちは、自分をではなく神様を語り、神様のご用を果たしていくことが神様から与えられているということを、危機の中にあればこそ改めて思い起こしたいと思います。制限、制約、我慢を強いられている中で失うものばかりではなく、荒れ野のイエス様に思いを寄せることを通して、改めて得るもの、気付かされるものも多くあるはずです。
今こそ私たちは、一層互いに励まし支え合う、祈り合う、そのような生き方を求められているのではないでしょうか?

イエス様の荒れ野での祈りと黙想、ご受難、ご復活に向かって私たちはイエス様と、そして、イエス様も私たちと歩んでおられるからこそ、いつ如何なる時にも喜びを見出し、喜びを分かち合っていかれますよう、それがどれ程細やかな、小さな喜びであったとしても、見出し合い、分かち合えますよう祈ります。それは、神様の喜び、イエス様の喜びとなり、イエス様を独り荒れ野に置き去りにしないことにもなるからです。

私たちは異なった場所で献げる祈りも、それは教会共同体の祈りとなり、連帯を形作り、主イエス・キリストと父なる神様との交わりに重ね合わされ、聖なる献げものとされます。そこで、引き続き、主日正午、お昼時の忙しい時間ですが一旦手を止め、心と言葉を合わせて、主イエス・キリストが授けてくださった「主の祈り」をそれぞれが居られる場所で、捧げ合いたいと思います。私自身も祈ります。皆さまもご一緒にお祈りください。他の方々にも祈りに加わってくださるよう、お知らせとお勧めをお願い申し上げます。
また、困窮している方がた、多大な負担を余儀なくされている方がたが優先され、最善の措置が図られることも祈りに加えたいと思います。そして、これからもより良い行動に努めたいと願います。

罹患された方がたの回復、医療現場に於いて命がけで献身、従事しておられる方がた、エッセンシャルワーカー、社会福祉施設、高齢者施設、幼稚園、保育園等のお働きと、そこで献身していらっしゃる方がたのお働き、生活上の不安、困難を余儀なくされている方がたへの支え、ご逝去された方がたの魂の平安と悲しみの内にある方がたへの慰め、そしてこの危機の収束を切にお祈り致しましょう。
また、罹患された方がたへの偏見や差別に陥らぬよう併せて祈ります。

この度、全教役者の手による「み言葉と歩む大斎節」を黙想の手引として活用戴き、また、そこに付されております推薦図書、映画等もご覧戴くなどして、大斎節の霊の糧にして戴ければ幸いです。
ワクチン接種のニュースが流れ始めました。一日も早い収束を祈り合いたく切望しつつ、皆さまお一人お一人の、そして世界の平和をお祈り致します。

「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられカルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。弱った手に力を込めよろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる」(イザヤ書 第35章1~4節)